どちら側に立ちますか?
創作ってなんでしょうか。
ときどき分からなくなります。
辞書でひいてみます。
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を—する」
2 文学•絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を—する」「—舞踊」
つくり出すことって、大変なことです。
身を削って時間を削って、あらゆるものを糧にしてひとつのものをつくり出します。
金がもらえるから、世の中ではモノづくりが仕事になっています。だって、生きるためだから当然です。
でも、金が目的じゃないのに創作をする人が、世の中にはたくさんいます。
どうしてなんでしょうか。
こういう疑問を提示すると、よく「賞賛をもらえるから」と、言われます。
でもそれは、彼らが賞賛を送る方の人間だから言えることですね。
だって、ものを作ったからといって賞賛を貰えるとは限りません。
むしろ、反社会的と言われるかもしれないし、こんなゴミクズを作るな、他人の迷惑とか言われるかもしれないし、
そもそも他人に見向きもしてもらえないものを作る人もいます。でもそれも、モノづくりです。
どうして、ここまで辛い思いを味わってものを作っているのか。
糸井重里さんが、とても素晴らしい回答を、ほぼ日でしてくれていました。
日刊で消えてしまうのが、あまりにもったいなかったのでアーカイブしてしまいました。
(前略)
文字通り、恋愛にも、
「口説く側」と「口説かれる側」があります。
元祖「口説く」ですよね、恋のシチュエーションは。
これも、「口説く側」がどれほどがんばっても、
「口説かれる側」の「ごめんなさい」で終っちゃう。ものすごい不平等な関係にも思えますよね。
逆に「口説かれる側」って、万能? 無敵?
とにかく「いやだ」「きらい」「のらない」ってね、
言ってさえいれば、それで済むんだもの。
どこで、「口説く側」と「口説かれる側」に分かれるか?
それは「やりたいこと」があるかないか、によってです。
やりたいことがある人が、「口説く側」に立つしかない。
知恵や知識を教えたい先生、
つくったものを買ってほしいい人、
好きな人といっしょになりたい人、
なにかの企画を思いついて実現したい人、
みんな動機や目的のある人なんです。
それを実現するのには、相手を口説かなきゃならない。
そういうしくみになっています。
たいへんですよ、「口説く側」に立つというのは。
でも、そのめんどくさい側に立たないと、
ただ待ってるだけの人生になっちゃうんですよねー。
あなたは、どちら側に立ちますか?