モロ屋

酒とケモ耳の力を借りて乱世を生き抜くWeb屋の雑記

デジタルしか知らない俺らの世代は

なんかデジタルネイティブというワードがいっぱい流れてたので、ちょっとだけ思うことを書く。


ちょうど俺が大学2年(19)。弟が小学6年なので参考例を挙げると、
小6の弟はYouTubeとかニコ動でアニメ観てるし、オンラインゲームしてるし、とてもかわいい。それは関係なかった。


この前、メルアド欲しいって言ってたから「なんでGmailで取らないの」って言ったら、「18歳未満は取ったらダメなんやで〜」って言われた。
ちなみに俺は家を出てひとり暮らしをしているので、弟とはたまに電話で話す程度。つまりなんにも教えてない状態。


それがすごいとは全然思わないし、むしろパソコンでインターネット出来る環境にあるなら、むしろやらないほうがおかしいとしか言いようがないなーと思う。
テレビが巻き戻したり飛ばしたり出来ないのも面倒だし、決まった時間にテレビの前に行くのも面倒。
わざわざテレビを使うのは、それでしか見れないコンテンツがあるから、もしくは高画質で見れるから。それくらい。あと生放送か。


スマホを使って同級生と授業中にこっそりメールしたり、ソーシャルゲームしたり…
そういうことが普通だから、デジタルネイティブすごい! と言われても全然ピンと来ない。なぜそれが凄いのか分からない。



これが、デジタルネイティブの危ういところなんじゃないかなぁと思っておりまして。


インターネットがあれば、星の数ほど自分の好きなコンテンツがあるわけですよ。
全てが共有されて、キーワードを打ち込めば自分の好きなコンテンツが流れてくる、それを見るだけ。
キーワードさえ打てば、情報だろうがアニメだろうがゲームだろうが(違法とかは置いといて)自分の手元に来る。それを消化する、そして次へ。それの繰り返し。


それがあまりにも当然すぎて違和感を感じないということに、危機感を覚えないといけない。


アンインシュタインの言葉にもある。
「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」と。


メール出来て当然、YouTube見れて当然、オンゲが無料で出来て当然。



なぜ、当然なのか? を考えない。



周りの大人たちが、デジタルネイティブすごい、ヤバイ。と言うけれど、決して褒められているのではない。
むしろ突然現れた技術を、使い方も前例も、なにもない技術をいきなり使いこなさないと、後世へ例を残すだけの実験台となる。
ということを強く意識しないといけないのかもしれない。


どうしてこの技術が現在に至るのか? そういうことをどんどん知っていかないと、今のデジタルネイティブを生み出した世代に勝てない。
Wikipediaデジタルネイティブの項に、「現実の出会いとネットでの出会いを区別しない」「相手の年齢や所属肩書にこだわらない」のが特徴。と書いてあるけど、
そういうチャンスと技術を与えてくれた大人たちのために、本気で挑んでいきたいと思っている。


まだ、俺らは大人たちがくれた技術をおそるおそる使っているだけに過ぎなくて、
それを使いこなして後世へモノを残せるかどうか、それがデジタルネイティブに課せられた問題なんだと思う。