モロ屋

酒とケモ耳の力を借りて乱世を生き抜くWeb屋の雑記

アイデアを生むということ

私が敬愛してやまない、任天堂の世界的ゲームクリエイター 宮本茂さんの言葉に、アイデアについての話があります。

「アイデアというのは、複数の問題を一気に解決するものである」

HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN - 1101.com


ははーん、というか。なるほどなぁというか。
アレもだめだし、こっちも辻褄が合わない。てかもうこれ企画として成り立ってないじゃん… という時に、あそこだけ変えればいいんじゃね? って誰かがいうと、おおそれいいかも! ってなって、それだといろんな問題も全て解決出来る! ってなる時があるんですね。
それがアイデアの本質、という話です。


それで、私が3ヶ月くらい前から何人かと一緒にいろいろ議論し続けてきた企画が1コありまして。
さすがに3ヶ月くらい掛けて丁寧に丁寧に煮詰めてきた企画だったので、7割くらいは良い仕上がりになっていたんですけれど、どうも最後の詰めというか、本質が見えてこない。というか面白くない。
形はすごくきれいに出来ているのに、改めて考えなおすと「それ面白くないよね?」という。


そこでそれを解決するためのアイデアをうんうん考えていたのが2日前のことなんですが、そこで一つの結論が出ました。
そもそも、企画の大筋が仕様と制約に合致出来るものではなかった。つまり、白紙に戻すということです。


一生懸命考えてきていたことなので、もちろんみんな戸惑いはあったと思うんですが、このまま進めてもエンタテイメントとして「面白くない」と。


ただ、なんていうんでしょう。経験からくるカンとしかいいようがないんですが、白紙にして考えなおした方が少なくとも今よりもいいものが出来る確信のようなものがあるときがある。
もちろん、これがいまの限界だなと感じるときもありまして、このへんは自分のカンです。


ちょっと話を戻すと、企画の辻褄の合わない部分を、いいアイデアで一気に解決するためにうんうん考えていたものが、なぜ最終的に白紙にすることにしたのか。
それは「白紙に戻す」ということが「解決するためのアイデア」だったからなのかもしれないなと。


たとえば、ある料理店で、お客さんが出てきた料理について「多い」と言ってる。
そのときに、「多い」と言ってる人は、なぜ「多い」と言ってるのか。
その根っこにあるものは、じつは「多い」ことが問題じゃなくて、「まずい」ことが問題だったりするんです。


企画が「面白くない」のを改善するために「面白くしよう」とするのが解決策なのか。
そのとき、根っこにあるものが「そもそもこの仕様ではダメ」というのが問題だということに気づいた時。
一見すればとても非効率的な破壊行為が、最善策になる時。


それが宮本茂さんの有名な「ちゃぶ台返し」という一つのアイデアの形なのかもしれないなと、思ったのでした。