モロ屋

酒とケモ耳の力を借りて乱世を生き抜くWeb屋の雑記

栄養素

精神的な疲れ。自分でMPと呼んでいるそれは、体力の指標であるHPと違って寝るだけだとなかなか回復しない。

MPが高い状態は心の安定であり、日々の充実感にもつながる。 今風にいうとQOL、クオリティ・オブ・ライフの向上そのものといえるはず。

それがねー、最近はなかなか回復しなくてさー。

MPがないと外に出る気もないので家にいることになる。仕事はフルリモートなので1週間ずっと家から出ない週すらあった。 いや、ゴミ出しのために週に2回、1分だけ外に出た。なので正しくは99.98%家の中にいた週すらあった。

このままだと干物になってしまうので、天気がいい日は積極的に同僚とランチをして、喫茶店で仕事をする日を作る。 ただ、仕事は仕事なのでなかなかMPが回復している実感がなかった。

で、最近の休み。朝から晩までひたすらインターネットの記事を読み漁るということをやった。

そしたらなんか、ウワーッっとMPが回復していく実感を得られる… インターネットでどうでもいい記事(褒め言葉)を読み続けることでしか得られない栄養素が確かに存在している…!!

最近はコンテンツがどんどんリッチになっていて、YouTubeはじめ動画全盛の時代。 動画は撮って出しなら製作労力は少ないし、まぁなんだ、キーボードで長文打つのって普通に疲れる行為だもんね。 みんなブログやってたしmixiで長文書いてたけど、なんだ短文のほうが楽じゃん! って気づいてしまってからは、一瞬でTwitterに移住したし。

ただやっぱり記事でしか得られない栄養素があるのは、そこに込められた熱の総量が違うからかもしれない。 仕事でもなんでもなく、ただ思うがままに書かれた記事はやっぱ面白い。

もちろん、140文字っていう制約の中でバズるために、絞りに絞り込まれたツイートも好きだけど。

そう思って久々にブログを書いてみたけど、やっぱり長文書くのって難しいですね。 でも書きながら思考が整理できるみたいなメリットもあるし、今年はもうちょっとブログ書いていきたいなー。

こういうどうでもいい記事をたくさん読んでいたらMP回復できたし、そのMPで久々に記事書けたんで、おすそ分けになると良いですね。

やっていき2021

2020年はハチャメチャに大変な一年でしたね。まさかこんな年になるとは。 とりあえず、ありがたいことにメシは食えております。

そんで2021年。個人的には節目の年と感じていて、やっぱり今日で東日本大震災から10年ということが大きいのかな。 震災による直接の被害はほとんどなかったものの、ずっとあらゆる方面から人生に関わってきていて、やっぱり震災が与えた影響は大きかったことが今から振り返ると分かるんですよね。 あの頃はまだ大学1年生で、成人してないし上京してきて1年もたってないような状態だったことを考えると、この10年間で信じられないくらい濃い経験ができたな~ と思います。

そもそもオフ会行ってみたいなー、アキバとか行ってみたいなー くらいの気持ちでフラッと上京してきたのに、ずっと寂しさを感じることがなかったのはネットやTwitterのおかげです。 かまってくれた人々、改めてありがとうございます!

そして当時からネットを中心に生活してきていたんですが、数年前から少しずつ別の方向にも意識を向けるようにしています。

長く居る場所ってとても楽で、いつまでも入っていたいヌルめの温泉のような魔力あるように思うんですよね。そこを終着地と決めたなら問題もないけど、まだ進むことを望むうちは場所を変えていきたいなーと。 実際、起業したのは大きな場所の変化で、本当に笑ってしまうくらい大変だったけど、変化に対応していくことこそが学びであり、大事なことだと知ることができてよかったです。 場所を変えても人間関係はリセットされることはなく地続きのまま繋がっていて、ずっと大切にしなければならないことにも気づけました。

それにどんな場所でも自分はWebサービスを作るのが好きみたいで、いまも新しいプロダクトをバリバリ作ってます! 相変わらずめちゃくちゃ大変なんだけど、やっぱりめちゃくちゃ楽しいんだよなー。 あとは比較的自由に時間を使えるようになって、思い立ったらすぐ車であちこち行けるのが最高。最近は温泉に行きまくり、ご飯を食べまくり。そのぶん、仕事のやる気を保つのが大変なのだが…

まぁ世の中どうなっていくのか全然わからないけど、10年後も今日と同じくらい「濃い経験してきたなー」と感じられるよう、なんとかやっていきたいと思います。 そして願わくば、私に新しい場所に飛び込む勇気を与えてくれる、知己の方々みんなが健康でありますように!

こういう話をパブリックで書くのちょっと恥ずかしいんですが、ネットの人々に支えられて今があるので節目に書いておきたいと思いました。 20代最後の一年間も、まだまだ頑張っていきたいと思うので、これからもどうぞよろしくお願いします!

あの頃の楽しさに囚われて、今の楽しさが見えなくなっちゃもったいないよね。あの頃は楽しかったんじゃなくて、あの頃も楽しかった…よね

ARIA The ANIMATION Navigation.11 - その オレンジの日々を…

ARIAは人生のバイブル。『ARIA The CREPUSCOLO』は、劇場にて絶賛上映中です。

モノの名前を知るのって楽しい

何ヶ月か前、デイリーポータルZで面白い記事が更新されていた。 dailyportalz.jp

なるほど確かに名前が分かるだけで面白いと感心。それからはたまに、ぼんやり目の前を眺めながらモノの名前を頭の中で読み上げたり、スマホで調べてみたりしている。

この文章は待ち合わせまでの空き時間に喫茶店で書いているが、他にもパソコンを広げている人がいる。自分はあの人が使っているパソコンがSurface Proであることや、あっちの人はMacbookで、目の前の人はLet’s Noteであることも分かる。でも多くの人は一つのノートパソコンとして認識しているんだろうなと思うと、なんだか面白い。
でもファッションが好きな人は、おれにはTシャツ・ズボン・スカートくらいしか言えない服の種類を、もっとたくさんの名前で認識しているんだろう。机も椅子も、紙コップひとつにすらも、もっと細かく名前がついていて、分かる人には分かるんだろう。

そういえば昔から「アスクル」のカタログを読むのが好きだった。オフィス用品の販売カタログなのだが、品数が豊富でジャンル別の分類もされていて、それぞれの商品の特徴も書いてある。タキイの「花と野菜カタログ」もよく読んでいた。大根1つでこんなに種類があって、植える季節や土壌の違い、寒さに強いとか特徴がずらずら書かれていて、味だけじゃないんだなー と当たり前ながら感心した覚えがある。
そう思うと法人向けの商品カタログはなんだか大人の学研図鑑みたいだ。

こうしてモノの名前を知るのってなんだか面白いと思っていたのだが、一番感心したのは音楽の勉強をはじめたときだ。
それまでは音楽の分類なんてピアノとかギターの音だったり、曲名でしか名前で呼ぶことが出来なかった。でも音楽を学び始めてみると、これがGコードの音で、これがFM7コードの音です。と音の組み合わせレベルで分解されていき、そんな単位で名前ついてるんですか? と驚いた。しかも一度覚えると、その辺で鳴ってる音楽も「おっ、セブンスの音がいいな」となんとなく分かるようになったのだ。
なんだか突然なにもわからなかった英語が読めるようになって、街なかにまぎれているアルファベットの意味を知って驚くような、新鮮な気持ちになる。モノの名前は目に見えるものだけについているとは限らないことを改めて理解できた気分だ。

大人になってから誰かと意思疎通をとるのに日本語で困ることはまずない。だからいまさら言葉を学んでみようなんて考えたこともなかったが、改めて気づいてみると名前を知ることは新たな世界への入り口であって、そういう世界はまだまだ溢れているんだと思う。

散歩しながら名前を知らないものを探したり、よく知らないジャンルの専門店に入って商品を眺めてみたり。特に何かの役に立つわけじゃないけど、そういう遊びはなかなか楽しい。お金も使わないし、たまにそんな休日を過ごしている。