モロ屋

酒とケモ耳の力を借りて乱世を生き抜くWeb屋の雑記

お土産

友人から沖縄土産をもらった。

中にはソーキそばやらA1ソースやら耳にしたことのある名産品だけでなく、なにやらチョコレートもあった。
チョコレートを見ると、ブランドにはロイズ石垣島と書かれている。
ロイズといえば北海道の定番お土産である、それが沖縄でも展開されているのか。

自分がお土産を選ぶときは、その地で生産されているものか、裏面の製造者表記をじっくりと見てしまうほうだ。
せっかく旅行に来ているのなら、お土産にはその土地のものを買いたい。他のものは"エセ"のように感じてしまう。
すなわちこのロイズ石垣島は自分ならば絶対に選ばないタイプのお土産である。

しかし食べてみるとこれが実においしく、さっぱりとしたシークワーサーの味がたまらない。
自分では買わないであろうものを買って、他人に贈る。これがお土産の極意なのかもしれないな。
そう思うと、東京ばな奈桔梗信玄餅など、定番中の定番土産を贈ることは悪くないのかもしれない。

コメダができた

家の近所にコメダ珈琲店ができた。
コメダのなんともいえない座り心地の良い赤い椅子が好きで、車ではるばる20分(渋滞してたら30分)かけて最寄りのコメダまで行っていたが、ついに徒歩5分で行けるようになったわけだ。とはいえオープン直後は長い行列が出来ていたため、少し落ち着くまで数ヶ月ほど待つことにした。

そして今日、昼前から打ち合わせが何件も続いて昼食を取り損ね、気がついたら17時になっていた。おやつの時間も過ぎて夕飯前の時間、いましかないと思い立って意気揚々とコメダにやってきた。

コメダで有名なのは定番のシロノワール、それとメニューに掲載されている写真よりも1.5倍増しで出てくる食事の数々だろう。少食な自分としてはなかなか注文できないが、朝から食パン1枚とゆで卵1個しか食べていない今なら、今ならいけるはず。そう思ってカツパンを注文、しようと思ったが直前でエビカツパンに変更した。エビがたくさん入っていて美味しいとメニューに書いてあったのに釣られてしまった。

先に出てきたたっぷりサイズのコーヒーを飲みながらエビカツパンの到着を心待ちにしていると、遠くから店員がやたらとビッグサイズなサンドイッチを運んでくる。おい、まさかあれじゃないだろうな。
目の前に置かれたエビカツパンのサイズに驚愕しながら、とにかく一心不乱に食べる。こういうのはスピード勝負。脳の満腹中枢が刺激される速度よりも素早く食べるのがコツだよ。

というわけでなんとか食べきって、ものすごい満足感の中で食後のコーヒーを飲んでいる。座り心地の良い赤い椅子に座って、ぼーっとする時間が身近にやってきてくれたのが嬉しくてこの雑記を書いた。

深淵をのぞくとき

Twitterで作品の感想をつぶやくと、作者から直接レスがもらえることがあるってすごくない?

スマホが登場するまではインターネットをやってる人なんて一握りしかいなくて、特に一日中パソコンにかじりついてるような奴は即オタク認定されたものだけど、今や電車の中でスマホをいじっていない人を見つけるのが難しいくらいだ。
そして自分を含めて日本人はTwitter大好き人間であるため、今や誰もがTwitterをやっていて、自分に関係するワードでエゴサしているので、なにか作品の感想をつぶやくとすぐに関係者に見つかる時代になった。
大手になってくると毎日すごい量の感想が届くのでわざわざエゴサするほどでもないかもしれないが、作品を出したての人だったりすると毎日毎時エゴサしてたりする。もう気になってしょうがないのである。その気持ちマジでわかるわ。

エゴサって改めて考えてみればすごい話で、昔は感想をもらおうにも、そもそも伝える手段がほとんどなかった。自分でホームページをジオシティーズに開設するところまではギリギリなんとかできるのだが、ここに掲示板またはチャットなんてハイテクものを設置するためには、CGIとかいうよくわからん知識が必要だったのだ。
そういうシステムがある所は感想を書くことができたが、そういった類のものが一切なく、ただテキストやらイラストだけがボンと置いてある硬派なホームページだと感想を伝えようにも伝える術すらなかったのである。

とはいえ、そういう時代はすぐ終わってブログの登場と共にコメント欄が生まれ、ニコニコ動画が出来ると弾幕を張ることもできるようになった。でも、こういったものは能動的に、感想を作者さんになんとか伝えたい! という意思があって書いていたものなのだが、いまのSNSは検索システムがよく出来すぎているよな。

この文章を作者に届けるぞ! と思い立ってファンレターを書くとき、当然文章は推敲するし色々考えながら手紙をしたためていくと思うんだけども、難しいことを考えずに「この○○って作品面白かったな〜」というひとり言すら作者に見つかってしまうのは、ちょっと怖いなと思う。

「全然芯を食ってない意見だなぁ」とか「おっ、この人はわかってるな〜」とか品評されているのは、もしかすると読者やユーザーの方なのかもしれない。